2013年12月の記事



晦日、そして、大晦日・・・

2013年12月30日 月曜日

江戸時代、年が明けると借金がチャラになるということで、借り手と貸し手の追いかけっこ=修羅場と化していたそうですが、、、皆さま、年の瀬はいかがお過ごしでしょうか。

のんびりされている方、かき入れ時と忙しくされている方、年越しカウントダウンや初詣とイベントを楽しみにされている方、日常と変わりなく過ごされている方、、、

私は、のんびりとしつつ、大掃除をしつつ、来年の仕事の準備が気になりつつ、ちょっと体を絞ろうかとも思いつつ、、、ある意味慌しく過ごしています(笑)

皆さまそれぞれに良いお年をお迎えください。 また来年もどうぞよろしくお願いいたします。


今年の重大ニュース2013・・・

2013年12月28日 土曜日

2013年も残り 3日と数時間 ・・・ カウントダウンもいよいよ大詰め。 テレビの年末特番などでは、今年の重大ニュースが取り上げられていますね。

今年の漢字 「輪」 に象徴される  「東京オリンピックの開催決定」(その後ミソが付きましたが・・・)、待ちに待った  「富士山の世界遺産登録」、同じく  「東北楽天の日本一 (&田中投手の 30連勝)」 のような嬉しいニュースもあれば、、、ホテル・百貨店・外食産業を直撃した 「食品偽装問題」、フィリピンや伊豆大島での痛ましい 「自然災害」  のような悲しいニュースもありました。

さて、私の重大ニュースといえば、なんといっても 支援企業の破産です。。。

正確には、既に支援は満了していたため 「支援していた企業」  になりますが、その企業と金融機関の間で 融資継続の話がまとまり次第、再び支援を開始する予定だったのです。 しかし、届いたのは 「融資継続」 ではなく 「破産申請」 の報、、、「狼狽するとはこういうことか」 と妙な感想を抱いたのを覚えています(苦笑)

ただ、業績は極めて悪く、今まで続いたことが奇跡と言えなくもない状態でしたので、「破産」 はある意味当然の結果とも言えますが、、、残念ながら、最後の最後まで 社長は舵取りを間違えたようです。

この社長は、「このままでは潰れる」 との口癖とは裏腹に、陰では 「銀行が融資を断るわけがない」 と言うような人でした。 そうした危機感の欠落が最終的には 「破産」 につながっていったのですが、社長にしてみれば 「まさか自分の代で潰すことになるとは・・・」 というのが正直なところでしょう。

どのようなことをすれば会社を潰してしまうのか 反面教師にしていただきたく、また追々お伝えしていきたいと思います。 皆さまも 経営の先行き 楽観視されませんよう。


被災地での経営支援・・・

2013年12月26日 木曜日

被災地の衣料品店を訪れたときのこと。 店主に現在の状況やこれからの展望を伺っていると、お父さんと女の子がお店に入ってきました。 ・・・どうやら、お嬢さんが中学校に入学するため、制服のサイズを測りに来たようです。

声しか聞こえませんでしたが、お嬢さんが試着しながら、店主が着心地を確認しながら、それをお父さんが見ながら ・・・ 三人でどのサイズが良いか話し合っていました。 お父さんは 「俺にはどれが良いか分らないから ●●さんに任せるわ」 と笑いながら店主に一任して一件落着。 和気あいあいとした様子に 頬笑みながら待っていました。

しかし、お父さんとお嬢さんが店を出て、店主が私に教えてくれたこと、、、実は、先程のお父さんの奥さんは津波で亡くなられ、それから男手一つで三人のお嬢さんを育ててきたのだそうです。 お父さんの気持ち、子供たちの気持ち、無念だったお母さんの気持ち、、、実は、様々な思いが 「中学校の制服」 に込められていました。

不意の告白に心が痛みました。 ・・・が、被災地の人たちが 様々な思いを押し込めて元気に生活しているのに、外から来た人が涙を見せたり動揺したりしてはいけません。 (ぐっと堪えました)

ひとしきり店主のお話を伺っていると、(意外なことに) 感謝されました。 被災した人は皆、自分の話を聴いてもらいたいのだそうです。 そして、そうした人たちがいつでも来て話ができるように、私もこの店を続けていきたい と話されました。

被災地では いわゆる 「経営理念」 が、通常支援で出会う企業とは質が異なります。

建物や機械・設備は消失、土地は未だ使えず、販路も定かでなく、取引先も未だ復旧せず、事業資金もほとんどない、、、、さらに言えば、自分の生活もままならない状況にも関わらず、店を再開する・続ける という話しが飛び交っています。

生き残った意味を一番に考えている人が 数多くいるためです。

通常ならば店を続けるのは無理と言われる状況でも、被災地では違います。 被災地の経営支援では、一般的な経営支援とは全く質の異なる考え方が必要になることを理解しながら 支援しなくてはなりません。


石巻市(中心部) の今・・・ (後編)

2013年12月25日 水曜日

石巻市は、漫画家・石ノ森章太郎先生の協力で、「萬画(漫画)」 を活かした創造性のある街づくりに取り組んでいます。

石巻駅(上段左の写真)から 石ノ森萬画館(上段真ん中の写真) までの道中は、石ノ森作品のキャラクターが出迎えてくれますので、楽しい町歩きができますよ♪

石巻中心部は、随分と平静を取り戻しています。 ぜひ遊びにいらしてください!

(参考)いしのまきマンガロードHP ⇒ http://www.man-bow.com/manga/mangaroad.html


石巻市(中心部) の今・・・ (前編)

2013年12月25日 水曜日

釜谷地区は太平洋に面しているため甚大な被害を出しましたが、石巻駅を中心とする市街地は石巻湾(海は南側)に面しているため (比較的)被害は軽く、この2年9ヶ月の間に随分と復興が進んでいます。

しかしながら、中心を流れる旧北上川の河口や両岸は大きな被害が出ており(真ん中と右の写真に映っている橋は、当時 津波に飲み込まれました)、未だに崩れそうな家があったり 空き地が広がるなどの光景に、津波や火災の傷痕を見ることができます。

 

さて、事業者の方々と話して感じたことは、復興の難しさそのものでした。

震災当初、店があるだけでお客様が来てくれました。 しかし、復旧が進み 道路や電気などのインフラが整ってくると、大型スーパーやコンビニが出店してきました。 当然のことながら、お客様は 沢山の品揃えで 便利に安く買える店に流れて行きます。 そうなると、今までボランティア精神で頑張っていた地元の店はどうなるのか・・・。

被害の大きい場所は中々復旧が進まないため、郊外に大型店が出店してきました。 すると、そこを中心に新たな町が作られるため、元の町を復興して 果たして住民は帰ってくるのか・・・。 それならば、何のために元の町を復興するのか、誰のために防波堤を造るのか・・・。

そもそも過疎化が進んでいる上に、震災で急激に人口が減ってしまった。 復興したい気持ちはあっても、これだけ人がいなくなった町で商売が成り立つのか・・・。

このような声を沢山聴きました。

時間の経過と共に 新たな問題が生じてくるため、復興が長引けば長引くほど、より問題は複雑化していきます。 一日も早い復興を願うばかりです。


女川町(おながわちょう) の今・・・

2013年12月24日 火曜日

宮城県 牡鹿郡 女川町は、石巻市に隣接する太平洋沿岸の町で、石巻同様 日本有数の漁港である 「女川漁港」 と 「女川原子力発電所」 の町として知られています。

 

左と真ん中の写真は、海抜約 16m の高台にある 「町立病院」 の駐車場から撮影しました ~ 漁港や中心地を見渡すことができます。

しかし、津波発生後、ここに停めていた車は 全て流されてしまいました。 なんと、押し寄せた津波の高さは 20m ・・・ 病院 1階の天井近くまで水に浸かったのだそうです。

テレビのコメントや日常の会話の中で、「なぜもっと遠くに逃げないのか」 とか 「想定外なんてことを言うのは・・・」 というような批判めいたことを言われる方もいますが、、、一度ここに来て、立ってみられると良いかなと思います。

私自身 あれだけ津波の映像を見た後でも、まさかこの高台が津波に飲み込まれるとは、、、信じることができません。。。 そうしたことを感じるだけでも、危機意識の概念がガラッと変わるように思います。

女川町の中心地は、まだ一部撤去されていない建物(写真 右は 「江島共済会館」→ 震災遺構として保存協議中) もありますが、ほぼ更地になったような状態です。

いよいよ新たな町づくりに向けて着手しようか というところまで復旧が進んでいます。 あと 2年か 3年もすると、町が再生されるのかな ・・・ これからの進展を期待しています!


石巻市 釜谷地区の今・・・

2013年12月23日 月曜日

宮城県石巻市の沖合は、黒潮(暖流) と親潮(寒流) がぶつかる世界三大漁場として、また、市内でカキの養殖法が開発されて世界中に広まるなど、有数の水産都市として名を馳せています。

そんな水産都市の石巻ですが、市の北東部は 北上山地 とリアス式海岸によって平地が少なく、山間・川沿い・海辺 のちょっと開けた土地に点々と集落を作って生活しているような地域となっています。

 

こちらは、北上川河口から約 4km の川沿いに位置する釜谷地区・大川小学校 (写真 中・右)。 過去の津波では、北上川は遡上したものの釜谷地区への被害はなかったことから、大川小学校は避難所の位置付けとされていましたが、、、

津波は、校舎も避難しようとした新北上大橋(写真 左に薄っすら映っている緑の橋)も飲み込むほどの大規模なものでしたが、裏山への避難という選択肢が後回しにされたことが災いし、大変多くの犠牲を出してしまいました。

災害時には、一人ひとりが勝手な行動を取るのではなく、管理者の指示に従い 事前に決められた行動を取ることが求められますが、そもそも事前に決められた対応策が適切でなかったなら、、、現地にいた人にとっては悲劇としか言いようがありません。

どのような危機が想定されるのか、その危機が発生すると どのような影響があるのか、その影響に対する事前の対策は、発生した際の対応策は、決めた対応策を実行できるのか(周知しているか ・ 訓練しているか)・・・などなど、改めて危機管理の基本を考えさせられます。

この地震では、北上川を約 50km 遡上するほどの大規模な津波が押し寄せました。 「なぜこのような場所に津波が??? 」 と思われるような山中で被害が出ているのは、このような河川の遡上によるものなのです。

現在、北上川河口から約 4km の川岸の区間は、復旧工事のため 朝から日没まで 何十台もの大型トラックが絶え間なく行き交っています (写真 左)。 この一帯は 土ぼこりのため 薄茶色の世界 ・・・ 早く澄み切った青空に戻ることを願っています。


南三陸町の今・・・

2013年12月22日 日曜日

今週の出張の様子をまとめて投稿します。 まずは三陸地方の概略から。

明治時代、現在の宮城県・岩手県・青森県は それぞれ陸前・陸中・陸奥と呼ばれ、陸のついた三国を称して「三陸」と呼んでいました。 そうしたこともあり、この三県の太平洋沿岸部は三陸海岸と呼ばれています。

三陸海岸は、ノコギリの歯のように入り組んだ複雑な海岸線と 水深の深い入り江が特徴的で(リアス式海岸)、天然の良港が多いことから 古来より漁業で賑わっています。

その一方で、急な傾斜の山地が海岸にまで迫るなど平地が極端に少ないため 生活や移動が不便な土地であり、また、津波が襲来した場合には、特に湾口よりも奥の方が狭くなっている入り江では、津波が侵入するにつれて波高が高くなるなど 甚大な被害が起きる土地ということも特徴として挙げられます。

 

南三陸町といえば、テレビで何度も報道された 「防災対策庁舎」(上段真ん中の写真) が有名になりましたが、解体か保存かで二転三転。 遺族や町民の感情を優先したいという思いと、震災を後世に伝える遺構を残したい、観光拠点として活用したいなどの複雑な思いが交錯しています。

震災以前は、防災対策庁舎の近くには、志津川駅や公立志津川病院、郵便局や商店街などが立地する町の中心地でしたが、、、今では一面何もなくなってしまい、海まで見通すことができます。

瓦礫は撤去されましたが、かさ上げはまだまだこれから。 まだ片づけや下準備の段階で、復興は始まっていないというのが正しい表現かもしれません。

それでも、町内 11店の飲食店が工夫しながら提供する 「南三陸キラキラ丼」(下段真ん中の写真)や、週末のイベントで大賑わいの仮設商店街 「さんさん商店街」 など、町をあげて元気に頑張っていました。

これから復興が進むと 諸々形も変わって行きますので、今の姿を見に 食べに ぜひいらしてください!

(参考) 南三陸町観光協会HP ⇒ http://www.m-kankou.jp/bowl/

(参考) さんさん商店街HP ⇒ http://www.sansan-minamisanriku.com/


病(やまい) 納め ・・・

2013年12月21日 土曜日

今週は宮城県沿岸部に行っていました。

木曜の夜 9時頃家に着き、お茶を飲みながら一息ついて ・・・というところまでは良かったのですが、、、何だか妙にダルイ、熱っぽい、食欲もない。 疲れが出たのかなと思いストーブで温まっていたのですが、、、

いくら温まっても寒く、その内に震え出し、さらに 体の関節や筋肉、胃腸 とあちこちが痛くなり、体を起こしているのもままならず、、、

のたうち回ること 12時間、やっと病院で診てもらうことができました。 心配していたインフルエンザではなく、「おなかに来る風邪(ウイルス性)」 ではないかとのこと。

私の場合は 下痢やおう吐が全くないので ちょっと例外ケースだそうですが、、、東京では今、随分と流行っているのだそうです。

「この風邪は特効薬がない」 と言われていた通り、もらった薬はあまり効かず、、、病院から帰って ひたすら横になって耐えること 18時間、今朝やっと座ったり歩いたりできるまでに回復しました。

ここで思い出したのが、美味しいカキやホタテ、ホッキ貝を食べたのですが、、、私の場合は もしやそれが原因??? これが 2013年 最後の病気・ケガ と祈りつつ、もう少し安静にしていたいと思います・・・(苦笑)

寒さ厳しく 慌ただしい年の瀬ですので、皆さまも おからだご自愛くださいませ。

(宮城県沿岸部の復興の様子は 次回お伝えします)


消費税 8% の足音 (後編)

2013年12月16日 月曜日

(中編からのつづき)

そして、特に増税を意識して訪れたお客様にとっては、「5% か 8%か分らない」 という説明は とても不愉快に感じてしまいます。

ですから、3月中旬頃からは 作業の進捗や部品の調達状況を注意深く確認し、いつまでの依頼が 3月引き渡しとなるのかの見通しを立て、できるだけ正確にお客様に説明することが求められます。

それでは、3月末に引き渡す約束をしていたのに、当社の過失(部品納入業者や外注の遅れなども含む) で 4月に遅れてしまった場合はどうするのでしょうか?

国の指導では 「あくまでも消費した人(お客様) が 8%負担する」 となっていますが、、、客商売では 現実問題そうもいきません。 だからといって、安易に 5%で計算したり、引き渡し日を改ざんする という解決方法では、後々大きな問題となります。

修理完了が 4月ですから消費税は 8% ・・・ ですから、修理代の本体部分を調整(値引きする形) して お客様に説明する という現場対応が必要になってきますね。 そして、その時の計算は四捨五入なのか切り捨てなのか・・・。

現場責任者や経理担当者と事前に協議して 対応方法を定めておくと、現場での動きがスムーズになります。

また、そもそも そうならないように、例えば 「3月 15日以降は大変混雑するため、3月のお引き渡しができなくなる場合があります」 などの事前告知を行い、「4月になった場合には 8%となる」 旨の承諾をもらっておくということも検討しておきたいですね。

お客様とのあつれきを事前に回避することで、不満や苦情(顧客離れ) につながらないよう 対応策を考えておきたいところです。

今回は、ややこしい業種(引き受けと引き渡しに時差がある業種) について一例を示しましたが、皆さまの仕事の中ではどのような状況が考えられるのか、早めに検討して 早めに対応策を定めておきましょう!