15-復興関連記事一覧



石巻市 釜谷地区の今・・・

2013年12月23日 月曜日

宮城県石巻市の沖合は、黒潮(暖流) と親潮(寒流) がぶつかる世界三大漁場として、また、市内でカキの養殖法が開発されて世界中に広まるなど、有数の水産都市として名を馳せています。

そんな水産都市の石巻ですが、市の北東部は 北上山地 とリアス式海岸によって平地が少なく、山間・川沿い・海辺 のちょっと開けた土地に点々と集落を作って生活しているような地域となっています。

 

こちらは、北上川河口から約 4km の川沿いに位置する釜谷地区・大川小学校 (写真 中・右)。 過去の津波では、北上川は遡上したものの釜谷地区への被害はなかったことから、大川小学校は避難所の位置付けとされていましたが、、、

津波は、校舎も避難しようとした新北上大橋(写真 左に薄っすら映っている緑の橋)も飲み込むほどの大規模なものでしたが、裏山への避難という選択肢が後回しにされたことが災いし、大変多くの犠牲を出してしまいました。

災害時には、一人ひとりが勝手な行動を取るのではなく、管理者の指示に従い 事前に決められた行動を取ることが求められますが、そもそも事前に決められた対応策が適切でなかったなら、、、現地にいた人にとっては悲劇としか言いようがありません。

どのような危機が想定されるのか、その危機が発生すると どのような影響があるのか、その影響に対する事前の対策は、発生した際の対応策は、決めた対応策を実行できるのか(周知しているか ・ 訓練しているか)・・・などなど、改めて危機管理の基本を考えさせられます。

この地震では、北上川を約 50km 遡上するほどの大規模な津波が押し寄せました。 「なぜこのような場所に津波が??? 」 と思われるような山中で被害が出ているのは、このような河川の遡上によるものなのです。

現在、北上川河口から約 4km の川岸の区間は、復旧工事のため 朝から日没まで 何十台もの大型トラックが絶え間なく行き交っています (写真 左)。 この一帯は 土ぼこりのため 薄茶色の世界 ・・・ 早く澄み切った青空に戻ることを願っています。


南三陸町の今・・・

2013年12月22日 日曜日

今週の出張の様子をまとめて投稿します。 まずは三陸地方の概略から。

明治時代、現在の宮城県・岩手県・青森県は それぞれ陸前・陸中・陸奥と呼ばれ、陸のついた三国を称して「三陸」と呼んでいました。 そうしたこともあり、この三県の太平洋沿岸部は三陸海岸と呼ばれています。

三陸海岸は、ノコギリの歯のように入り組んだ複雑な海岸線と 水深の深い入り江が特徴的で(リアス式海岸)、天然の良港が多いことから 古来より漁業で賑わっています。

その一方で、急な傾斜の山地が海岸にまで迫るなど平地が極端に少ないため 生活や移動が不便な土地であり、また、津波が襲来した場合には、特に湾口よりも奥の方が狭くなっている入り江では、津波が侵入するにつれて波高が高くなるなど 甚大な被害が起きる土地ということも特徴として挙げられます。

 

南三陸町といえば、テレビで何度も報道された 「防災対策庁舎」(上段真ん中の写真) が有名になりましたが、解体か保存かで二転三転。 遺族や町民の感情を優先したいという思いと、震災を後世に伝える遺構を残したい、観光拠点として活用したいなどの複雑な思いが交錯しています。

震災以前は、防災対策庁舎の近くには、志津川駅や公立志津川病院、郵便局や商店街などが立地する町の中心地でしたが、、、今では一面何もなくなってしまい、海まで見通すことができます。

瓦礫は撤去されましたが、かさ上げはまだまだこれから。 まだ片づけや下準備の段階で、復興は始まっていないというのが正しい表現かもしれません。

それでも、町内 11店の飲食店が工夫しながら提供する 「南三陸キラキラ丼」(下段真ん中の写真)や、週末のイベントで大賑わいの仮設商店街 「さんさん商店街」 など、町をあげて元気に頑張っていました。

これから復興が進むと 諸々形も変わって行きますので、今の姿を見に 食べに ぜひいらしてください!

(参考) 南三陸町観光協会HP ⇒ http://www.m-kankou.jp/bowl/

(参考) さんさん商店街HP ⇒ http://www.sansan-minamisanriku.com/


気仙沼の今・・・

2013年12月08日 日曜日

今週は、宮城県気仙沼市に行っていました。

気仙沼といえば、市街地に打ち上げられた大きな漁船 「第18共徳丸」 で一躍有名になりましたが、漁船は解体されて今はもうありません。

市では全世帯に 「保存の賛否を問うアンケート」 を実施しましたが、7割近くの市民が保存を望まないという結果となりました。 ・・・そういえば そんなニュースもあったなぁと思っていましたが、、、

地元では、アンケートなんて知らないとの声もチラホラと・・・。 また、テレビのインタビューに出た人が、解体前は震災を思い出すから早く撤去して欲しいと話していたのに、解体後になると、漁船が撤去されて見学に来る人がいなくなって寂しいと答えていたなんて話も・・・。

確かに、ランドマーク的な存在がなくなったこともあり、他所から見に来る人は格段に減っています。 今年の3月に来たときには バスツアーが随分と来ていましたが、今は驚くほど閑散としています。 当然のことながら、ツアー客向けのお土産販売で商売をつないでいた人には大きな影響が出ています。

その一方で、漁船が撤去されたことで 区画整理も進めやすくなり、町の再興に向けて加速しつつあるようです。 ですから、もしも漁船が撤去されていなければ、町の再興は未だに見えない状態だったのかもしれません。

撤去の是非が話題になったときには 「震災遺構」 の視点ばかりで、こうしたことについてはほとんど語られなかったように思いますが・・・。

何か大きなことをすると、良い面も悪い面も含めて 必ずどこかに影響が出るものです。 後になって 「そんなはずでは・・・」 とならないように、思慮深くかつ迅速に 意思決定を進めていただくことを願っています。


再び大船渡へ・・・

2013年11月01日 金曜日

復興支援の仕事で、岩手県大船渡市に行ってきました。 3月末に行って以来、8ヶ月振りの訪問です。

今回は、気仙沼に宿泊し、陸前高田を抜けて大船渡へ日参。

現地の様子は、復興が進んでいると言えば進んでいるけれど、ゴールから逆算すると、あとどれくらい時間がかかるのか、、、途方に暮れる規模の復旧工事の道半ば・・・という印象でした。

防潮堤を作るのか作らないのか、かさ上げ費用はどうするのか、本設移転はいつになるのか、二重ローンはどうするのか・・・等々、問題はほとんど解決していません。

離れた地域にいると あまり情報も入らなくなりましたが、現地では まだまだ多くの問題を抱えながら生活を続けています。

直接の支援はできなくとも、東北への関心は持ち続けていただきたいなと思います。


被災地で思うこと・・・ (後編)

2013年3月31日 日曜日

(大船渡市内の写真です)

・・・大船渡駅などがあった市内中心地は 辺り一面 何もなくなり、高台にある線路にまで津波が押し寄せその後 復旧せず、津波を受けたそのままの状態で残る建物もあちこちにありました。

【 Googleストリートビューで詳しく見れます ⇒ 地図上 「詳細(+ボタン)」 を押すと 画像が見れます】

http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E8%88%B9%E6%B8%A1%E5%B8%82&hl=ja&ie=UTF8&ll=39.063533,141.721102&spn=0.001256,0.002677&sll=39.011281,141.65102&sspn=0.019974,0.04283&oq=%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E8%88%B9%E6%B8%A1%E5%B8%82&brcurrent=3,0x5f88a110e162fcab:0xe5b3e21e5717ef25,1&hnear=%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E8%88%B9%E6%B8%A1%E5%B8%82&t=m&z=19

 

事業者さんと話して感じたことは、町の復興スピードと支援期限とのギャップから生じる 不安や焦りです。 例えば、仮設施設や仮設店舗では、家賃が無料(もしくは格安で一部負担)で入居できます。

しかし、例えば 2年という期限があります。 入居当初は 「とにかく入れて良かった」 ですが、復興が進まない現状、時間の経過とともに 「2年経ったらどうなるの?」 という不安や焦りが生じてきます。

例えば、自分の土地はあっても、かさ上げ指定があるため すぐには建物を建てられず。 かさ上げを業者に頼んでも いつ着工できるか分からず。 費用は日々高騰するため 既に自腹で賄えないまでに・・・。

例えば、土地もなく、商売も成り立たず、貯金もない人は 選択肢さえもありません。

正直に言えば、震災から 2年以上経った今でも、自身では何ともしようがないという人で溢れているのです。

そんな中で、他に収入源がある人や復興バブルで潤っている人もおり、いわゆる格差が生まれているのも事実です。 すると、被災直後は一丸となって頑張ろうという状況でしたが、段々と足並みが揃わなくなり、物事が進まないだけでなく 感情的なモツレも生じるようになってきます。

復興には時間がかかるとは思いますが、長期化すればするほど、新たな より複雑な問題が生じているというのも事実です。 明日からは 新しい年度が始まります。 国の主導で 早期の復興に取り組んでいただきたいと願っています。


被災地で思うこと・・・ (前編)

2013年3月31日 日曜日

3月下旬は、数日間に渡り 岩手県沿岸部に行きました。 某機関の調査員として、被災地を回りながら、事業者さんの現状をお聴きしてきました。

こちらの地域には中々来る機会もないため、アテンドしていただいた職員さんのご厚意で、行く先々でニュースに取り上げられたような場所に立ち寄っていただきました。

(上段:気仙沼市  下段:陸前高田市)

先日のコラムにも書きましたように、震災の爪跡があちこちに残っています。 残っていればまだ良いというのか、カーナビと風景を見比べて、 「ここに駅があったの???」 と 何も残っていないような地域も・・・。

実際に海を見て感じたことは、驚くほど穏やかだったこと・・・まるで、広島で見た 瀬戸内の穏やかな海を思い出します。 これだけを見れば 「まさか津波が来るなんて信じられない」 というのが正直な感想です。

現状では、防潮堤は壊れ 地盤沈下も起こり、災害にはほとんど無力な状態です。 津波の被害のあった地域では 「余震が怖い」 ということが肌で感じられます。 東京と現地とでは、余震に対する感じ方にも 大きな差があるんだなと実感しました。

先週宿泊したホテルは、海からわずか100m、私の部屋は水没した2階・・・。 右も左も分からないし、津波警報がどんな音なのかも知らされず・・・。 「津波来ないよな」 とは思いつつ 「来たらどうするんだろ」 と 少し不安に感じながらの 3泊 4日でした。

これが毎日続くと、、、現地にお住まいの方は、中々気持ちが休まらないですね・・・。

(後編に続く)


気仙沼市にて・・・

2013年3月27日 水曜日

先日来訪問している被災地でのこと、気仙沼を移動中、かの有名な漁船の脇を通りました。

第一声は 「ああ、これがあの・・・」 ~ 津波で打ち上げられた大型漁船 「第18共徳丸」 です。

折りしも、気仙沼市は、所有者である水産会社が、解体手続きを開始する意向があることを発表しました。

震災を後世に伝えるための 「震災遺構」 として残したいとする市と、被災者感情への配慮を優先した所有者との間の溝は埋まらず、解体に向けて舵をきる形となりました。

個人的には、壊すとなればもう無くなってしまう、だから、一先ず残す方向で・・・とも思うのですが、、、まあ他人事というわけではありませんが、周囲は好きに色々なことが言えますよね。

被災しただけでも大変な心労があるのに、遺構として残すかどうかにまで心を痛めなければならないのは、所有者の心中察するに余りあるところです。

所有者も相応の時間をかけて熟慮した結果なのですから、いかなる答えでも尊重してあげたいなと思っています。


被災地の状況・・・

2013年3月23日 土曜日

前回の続きです。 実は、月曜日から、岩手県釜石市 ・ 大槌町 ・ 山田町 に行っていました。

何をしていたのかといいますと、被災された企業様の元を訪れ、今の現状や今後の見通しのインタビュー、並びに、それに対する助言をしていました。

釜石市では、パッと見では 「随分と復旧が進んでいるんだな」 でしたが、「目を凝らせば そこここに津波の爪跡」 が・・・。 大槌町と山田町の被災状況の酷い場所では、「まだまだ何も手が付いていないんだな」 と、場所によって印象が異なりました。

そして、お店を見ると、お客さまで賑わうお店もあれば、全く来ないんだろうなあと思われるお店もありました。 例えば、食料品店や弁当販売店、飲食店は、毎日必要な 「食」 ですから、相応に賑わっています。 しかし、今すぐに必要でない商品を扱うお店では、まだまだ出番がこないという状況も想像できます。

前者のお店を見れば、復興は随分と進んでいる、さらにいえば、バブルが起きて大繁盛しているお店までもあります。 その一方で、そうした状況とは無縁のお店があります。 つまり、表があれば裏があるということですね。

感覚的な言い方になりますが、被災地では、復興が進んでいると思っているほど復興は進んでおらず、復興が進んでいないと思っているほど復興は進んでいないわけではない・・・という状況のように思います。

現地に行くと、のべつ幕なしの支援ではなく、必要なところに 必要なだけの、もっときめ細かい支援が必要とされているのだな・・・と感じます。


2年が経ちました・・・

2013年3月11日 月曜日

東日本大震災の発生から2年を迎えましたね。 まずは、被災された皆様に 心よりお見舞いを申し上げます。

ここ数日、テレビの特番が数多く放映されていますので、東京にいても 被災地の現状を知ることができます。 ちょうど今見ているテレビでは、キャスターが 「電気は通っていても 水が通らなければ誰も帰ってこれない!」 と憤っていました。

もう 2年経ちますが、まだまだ多くのことが止まったままの状況なのですね。

テレビを見ていて 「なぜ復興が進まないのか」 とは言えるけれど、自分には果たして何ができるのでしょうか。 現地に行ったところで足手まとい、慣れない環境で病気や怪我でもしたら それこそ邪魔者。 せいぜい募金や被災県のモノを買うことくらい・・・。

「人それぞれ 出来ることと 出来ないことがある」 と思いながらも、傍観者の立場でいる自分自身にも憤りの矛先が向いてしまいます。

それでも、2年の間に少しずつ動いていることもあり、私のような最前線ではあまり有用でない者にも 少しだけ役割が回ってきました。 今月 数日間、岩手県沿岸部に行ってまいります。

間接的なことしか出来ませんが、少しだけでも 誰かの 何かのお役に立てられれば・・・そう願っています。